(写真はいずれもゲネプロ時のもの)
多くの方にご来場頂きましてまことにありがとうございました。
おかげさまで大変和やかな雰囲気のもと、素晴らしいリサイタルとなりました事を感謝致します。

来日以降、リサイタル日まで5月らしい大変爽やかな天気が続きました。特に欧米からの演奏家にとって日本の湿気は大きな脅威。コンディションを整えるのも大変です。非常によい天候で迎えることが出来たのは幸いでした。
というのも、今回のプログラム、ご覧になった方々から「本当にこのプログラムをやるのですか?」という質問が出るほどのタフなものです。「ドイツ・ロマン派フルート」と銘打った内容、実はペール氏から初めに貰ったプログラムは別の曲になっていましたが、「ロマン派と銘打つ以上、シューベルトを忘れるわけにはいかない」と自ら訂正してきたのです。そしてピアノの調律にも徹底したこだわりがありました。フルートの高音部で音程がうわずる事を嫌い、特にピアノの高音域を上がり過ぎないように調律師に指示、ミーティングしながらゲネプロを進行して行きました。演奏家両氏が絶賛したピアノは会場のお客様にも印象深かったようです。このような背景からも今回はベーゼンドルファー製ピアノの音色を選択したわけですが、リサイタル前日に東京ミュージック&メディアアーツに招聘されて行われたマスタークラスにおいてもフルーティストと伴奏者のバランスについて細かい説明があったように、常に全体を考えて音楽を作っていく姿勢はまさに名門・北ドイツ放送交響楽団やバイロイト祝祭管弦楽団で長年首席奏者として活動してきた証。

前回の横浜リサイタルではラフかつモダンな衣装だった両演奏者、今回は上から下まで全く隙のない正装、ダンディズムが板についています。会場には大勢の音楽関係者も詰めかけ、いつになく社交的雰囲気に満ちたロビーでした。
さて、テーマである「ロマン派音楽」ですが、ペール氏そしてデュオには必ず組むピアニスト、トーマス・ハベルラー氏のコンビにとってはライフワークになっており、特に19世紀から20世紀のドイツ・ロマン派の知られざる作曲家・作品を発掘し演奏発表する事に関して本国ドイツでも教育の一環として演奏する機会も多いようです。今回プログラムにあったS.カルク=エーレルトをはじめL.リーバーマン、J.リーツ、M.マイヤー=オルバースレーベン等々、ペール氏の取り上げる作品は聴く人にどこか馴染みのあるメロディックな曲が多く親しみやすいものが多いので、これからもっと注目されるのではないでしょうか。

来場者の方々にくれぐれも宜しく、とのコメントをマティアス・ペール、トーマス・ハベルラー両氏から頂いておりますことを最後に添えたいと思います。
■ソナタ“ウンディーネ" 作品167 / C.ライネッケ (1824-1910)
 Undine Sonate für Flöte und Klavier E-Moll op.167 / C. Reinecke
カール・ライネッケはハンブルクのアルトナに生まれ、1910年にライプツィヒに没した、19世紀ドイツの最も高名な作曲家・指揮者兼ピアニストの一人である。36歳の若さで世界最古のオ-ケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長及びライプツィヒ音楽院の教授に就任し、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」の世界初演を担当するなど、指揮者としても音楽史に大きく貢献した。1902年に音楽院の教授職から引退すると作曲活動に専念するが、生前出版された曲だけで優に300曲を超え、未発表のものも含めると1000曲にのぼるというほど、ライネッケは多作の作曲家であった。しかし、後期ロマン派が爛熟し解体の時期に至っても、彼の作風は初期ロマン派的様式感に立脚した19世紀的なものに留まっていたため、その作品は死後急速に忘れ去られることとなったが、近年再評価の気運が高まり、その膨大な業績が見直され始めている。本日演奏される「ウンディーネ」の副題を持ったフルートソナタは、ライネッケの作品のうちでも良く知られたものであり、ドイツ・ロマン派の作家フリードリヒ・ド・ラ・モット・フケーの小説、「ウンディーネ」に題をとった、一種の標題音楽である。美しい水の精ウンディーネは騎士フルトブラントと恋に落ち彼と結ばれるが、その幸福は長く続かず、フルトブラントの心はやがてウンディーネから離れ、彼女は水の世界へと戻ってゆき、終いにはかつての恋人の命を奪うこととなる。水の世界と人間の世界、ウンディーネとフルトブラントの愛と悲劇的な運命を描いた傑作である。
■「萎める花」による序奏と変奏 作品160 (D.802) / F.シューベルト (1797-1828)
 Introduktion und Variationen für Flöte und Klavier über “Trockne Blumen" op.160 (D.802) / F. Schubert
ロマン派随一のフルートのための名曲として名高いこの変奏曲は1824年、シューベルト27歳の年に、当時の名フルート奏者フェルディナント・ボーグナーのために書かれた。シューベルトの時代のフルートは、テオバルト・ベームによる革命的なメカニズムの発明以前の多鍵式のものであり、この曲のヴィルトゥオーゾ的な楽句はボーグナーの優れた演奏技術を髣髴とさせるものとなっている。シューベルトと彼を讃える友人たちは、しばしばシューベルティアーデと称する音楽会を開き、そこで自作の演奏を行ったが、ボーグナーもそこに参加していたものと思われる。修行のために遍歴を重ねる主人公が、粉引きの娘に恋をするが、その娘を狩人に奪われてしまい、失意の内に自殺するという、ヴィルヘルム・ミュラーによる非常にロマン的な詩を題材にした連作歌曲集、「美しき水車小屋の娘」の第18曲「萎める花」の、恋に破れた青年が「彼女のくれた花を、私と一緒に棺に入れておくれ」と切々と歌う旋律が、この変奏曲の主題となっている。ほの暗いホ短調の前奏に導かれ、主題の孕む感情は、恋に破れた青年の見る走馬灯のごとく、恋の喜びや苦しみ、希望や絶望として、七つの変奏の内で展開されてゆく。変奏曲としては他に類を見ないほど、技巧と音楽性が結びついた作品となっており、シューベルトの天才が見事に示されている。
■ソナタ 作品121 / S.カルク=エーレルト (1877-1933)
 Sonate B-Dur op.121 / S. Karg-Elert
ジークフリート・カルク=エーレルトは1877年にオーベルンドルフ・アム・ネッカーに生まれた。幼少期から音楽の才能を示した彼は、ライプツィヒ音楽院でライネッケに学び、グリークに認められて作曲活動に入り、後にはレーガーの後任として同校で作曲及び音楽理論で教鞭をとった。カルク=エーレルトはドビュッシーやスクリャービン、そしてシェーンベルクの影響を強く受けるが、当時の前衛に接近しつつも無調には至らず、独自の作風を確立した。しかし、1920年代にナショナリスティックな傾向を強めるドイツの音楽界においては、コスモポリタン的な彼の作品は不当に低い評価を得、否定されることとなる。また、彼の創作活動の中心を成しているのはオルガン及びハルモニウムのための作品群だが、オルガン曲は当時演奏不可能とされた曲も多く、またカルク=エーレルトは1930年代に自身の演奏によるアメリカでのオルガン・コンサートツアーを企画したが、これも失敗に終わり、病を得た彼は失意の内に1933年、ライプツィヒで没した。今日では演奏技術の進歩により、彼のオルガン曲は再評価がすすみ、演奏頻度も高まってきている。またカルク=エーレルトのもう一つの主要創作ジャンルを成しているのが、フルートのための作品群である。晩年にはフルート奏者との交流のもと、カルク=エーレルトは多くのフルートを中心とした作品を残したが、「アレグロ・アマービレ(愛らしく)」、「アダージッシモ」そして「非常に早く、軽やかに」の三楽章からなるこのフルート・ソナタも、その折に作曲された。洗練され、格調高い第一楽章、深みを湛えた第二楽章、そしてはしゃぐように疾走する第三楽章と、それぞれの楽章ごとの性格の違いが印象的な作品である。
■「行商人」の主題による序奏とロンド 作品98 / F.クーラウ (1786-1832)
 Introduktion et Rondo sur le Colporteur d'Onslow op.98 / F. Kuhlau
フルート奏者及び学習者にとっては、フルート教本を通してよく知られたフリードリヒ・クーラウは「フルートのベートーヴェン」とも呼ばれる。ドイツのハノーファーに生まれたクーラウは、ハンブルクで音楽教育を受けた後デンマークのコペンハーゲンに移住し、同地でオペラ作曲家として成功をおさめ、王室付き宮廷楽長の地位を得た。彼は器楽の分野でも多くの作曲を行い、その作品は現在に至るまで学習者用の教材として広く使われており、シューベルトにより「短いかも知れないが真の傑作であり、素晴らしい旋律と表現力を備えている」と絶賛されている。本日の曲目、「行商人」の主題による序奏とロンドは、クーラウ作品中でも演奏頻度の高い曲の一つである。フルートのカデンツァ風の楽句を伴い荘厳に始まる序奏に続き、フランス人作曲家ジョルジュ・オンスローのオペラ「行商人」中の合唱曲から採られたホ短調の主題が現れる。この憂愁に満ちた旋律が長調と短調の間をたゆたいながらヴィルトゥオーゾ的に展開されていく様は、19世紀前半のサロン音楽の洗練をよく伝えるものとなっている。
■シャンソン・ダムール 作品20 /A.F.ドップラー (1821-1883)
 Chanson d'amour op.20 / A.F. Doppler
どこか東洋の雰囲気を感じさせる名曲、「ハンガリー田園幻想曲」で有名なアルバート・フランツ・ドップラーは、ハンガリー出身の19世紀屈指のフルート・ヴィルトゥオーゾであり、またオペラやバレエに多くの作品を残した作曲家である。ブダペスト歌劇場の首席フルート奏者から出発し、後にはウィーン宮廷歌劇場の首席フルート奏者、そしてウィーン音楽院のフルート科教授となったドップラーは、またやはりフルートの名手であった弟カール (1825-1900)と共に、超絶技巧を要する自作の曲を披露する演奏旅行を行い、ヨーロッパ中を席巻した。ドップラーによるフルート曲は、自分自身及び弟との演奏を念頭において書かれているため華麗な技巧性を持つ一方で、歌謡的な素朴で美しい旋律や、ハンガリー独特のリズムが特徴である。近年演奏される機会の増えてきた「シャンソン・ダムール(愛の歌)」は、恐らく当時のハンガリーの歌謡の旋律を取り入れた曲で、可憐な旋律やハンガリー的リズム、そして超絶技巧といった、ドップラーのフルート曲の魅力を余すところなく詰め込んだ名品である。
(山本潤 ドイツ中世文学)